昭和45年11月19日 夜の御理解



 おかげを頂いておる時でも油断は禁物であるし、そんなに難儀の中にある時でも、神様を信じて信心を進めて行けば、平生心が保たれる訳です。だからあの信心生活と言うのは、そういう一つの事に一喜一憂する様な事のない、何時もいわば油断の無いおかげを頂いて行くこと。何かしら真剣に張り詰めた様な、難儀を感じる時には、必ず神様を自分の心から外しませんよね。
 もう思うとは金光様、例えば私どもの幹三郎が、あの愈々入院とか手術が決まったその時分の時なんかは、とてももうまあ緊迫した空気がそれぞれの中にございましたですね。それがおかげで無事に手術も済んだ、しかも肉腫だろうと言われておったのが、癌は癌でも大変この悪質なものではなくて、もう命には別状ないと太鼓判を押される程しに先生が仰って頂いて、この癌の様に、そのすっきりと手術がされた事が。
 言わば大変喜ばしい事だと言うて、喜んで下さったという様な事を聞かせて頂きますと、やれやれと荷を下ろす様な、気がやっぱ誰でも致しますけれど。もうその例えば、幹三郎の事でも非常におかげを頂いて、皆さんのお祈り添えの元に、もう監察室を今日は出らせて頂いて、個室まで移らせて頂いて、それでもうその付き添えももう、今迄四人も居って頂いたのが、もうそんなには要らないと。
 原さんとこは帰って来て頂いたんですけれども。それで家内が丁度四時の御祈念にお礼に出てきておりました。それであちらはまあ泰子となんか順子さんと若い者だけがおったらしいんです。そこを丁度あの人が若先生があの西久留米教会の記念祭でございましたから、あちらの記念祭のおかげを頂いて病院に回らせて頂いたところが、丁度若先生が行って居る時に胆が詰まって大変苦しんで居るところであった。
 それはもう今までは皆が取って下さっておったから楽だった。今度はもう個室に行ったら自分で取らなきゃならん。だからもう要領がよく分からんもんだから丁度苦しいところへ若先生が行ったもんですから、はあほんとにおかげ頂いとるおかげ頂いとると云うけれどもやっぱり幹三郎はこんなに苦しんで居るんだなと思うて、勝彦自身がなんかこうしゃんとしたような感じがするんです。
 帰ってすぐこんな風で幹三郎はこうして胆が出て苦しんで居るようですからと言うてお届けを致しました。でも家内はこちらへ来ておりましたからすぐ帰しましたけれども、もうほんとにまだ言うならばあの様な大変な病気であり、大変な手術をした後のことでございますから又どういう風に病状が変わらんとも分からん。言うならば油断も隙も出来ないといった様に信心と云うものはそういうね、と、言うてあの緊迫したと云った様な事は人間には何時も出来るこっちゃないですよね。
 そんなら何時もそういう時だからというて驚かんで済み、というて調子が良くなったからと言うてやれやれと気を落とすことのない、そこら辺のところの兼ね合というものがね、私信心には大事じゃないかとこう思うんです。それを今日久富さんが頂いて居られます様にあの「十三曲がり」ということを頂かれたそうですね。これはあの恐らくあの、九重の十三曲がりのことだと思います。
 九重と言うのはあの筋湯に行きます時に、丁度今が秋の景色では一番もいうそれこそこりゃもうこりゃ世界一と言われる程しに素晴らしい景色の良い所ですよねえ。紅葉しておる時ですし、あのうもうほんとに下を見るともう目の前が絶壁の所をずうっとこう十三曲がりと言われる程しに曲がりに曲がって頂上にに向かって進んで行く所でありますからね。また下って来る時でも同じこと。
 もうちょっともう、ならもうそのまま自動車は谷底に転がって仕舞わんならんという様な危険な所なんです。ですからもうほんとに素晴らしい素晴らしいと言うて居るだけじゃいかん、やはりそういう危険なね、ところを通っておる時だ、それはおそらく幹三郎のいまの状態じゃなかろいうかと言うて皆に申しましたところでございますけれども、そんならそういう時にですね。
 なら何時もそういう緊迫感というか、もうそんな危険なところを通って居る、はあ素晴らしい素晴らしい、紅葉が見るなら素晴らしい素晴らしいと・・?これじゃったらいっちょん楽しいことはないですよね。信心生活が楽しいというのはね、どういうところかと言うとね、まあなんと素晴らしい事だろうか、それこそ、錦でも人が書いたり、作ったり出来ることじゃあない、なんと天地の親神様の働きの、いわば御手の、鮮やかなことであろうかとですね。
 天地の親神様のお恵を心から素晴らしいなあと、只景色が素晴らしいじゃあない、天地の親神様の働きそのものが素晴らしいなあと言うていけれる生活が信心の生活。日日の生活の中にほんとに神様のおかげと言うものはもう恐れ入って仕舞うと何を見ても何を。今日あのう先ほど若先生が帰って参りまして、あの炬燵の間に控えて居りました。すぐ下の山根さんとそれから高芝さんと綾部さんと。
 それから小山しげるさんとお茶を出して呉れよる時でしたね、ほんとにあのとにかくずっとこう鼻から管を通して食物なんかをこうやってね、時に「今はかしわのスープよ」「今は何々よ」と言うてずっと味が全然分からんのですから、まあこれは何例えば林檎ですよ、これは野菜ですよと言うて自分じゃ味は分からんけれどやっぱそれをその言うて貰うと、はあ今は林檎入って行きよるな、今かしわのスープ
   (途中切れ。)